Doctor'sライフ 04
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名勝負が生まれる舞台誕生秘話とその歴史箱根駅伝の 大学生ランナーたちの憧れの地・箱根。その地を、タスキを手に駆け抜ける箱根駅伝は、いまでは日本の国民的大会ともいえる一大イベントです。しかし、いまのような地位を確立するまでには、長い歴史と関係者の並々ならぬ努力がありました。誕生は大正9年目的は世界的ランナーの育成 箱根駅伝が初めて開催されたのは1920年(大正9年)2月14日午後1時のことでした。当時は「四大校駅伝競走」の名称だったそうです。東京への遷都50周年を記念して開催されました。 記念の開催という意味もありましたが、もうひとつの大きな目的は世界的ランナーの育成でした。当時、日本の陸上界はまだ黎明期。駅伝を通じて優秀な選手を育成しようとしたのです。「駅伝」の名称は何が由来?古くは奈良時代までさかのぼる 「駅伝」の名称の由来は、奈良時代までさかのぼります。中央政府と地方を結ぶために幹線道路が作られ、その道を使う役人のために「駅馬」と「伝馬」が設置されたことが始まりです。初めて駅伝大会が開催されるとき、このふたつからヒントを得て「駅伝」と名付けられました。新年の風物詩・テレビ中継は困難を越えて実現した 駅伝は、いまでは当たり前のようにお正月のテレビで中継されていますが、当時は箱根の山々が電波障害を起こして中継どころではなく、非常に困難でした。 しかし、1987年に日本テレビが無線基地の設置に成功したため、リアルタイム中継が実現しました。それ以来、お正月の風物詩として定着し、高い視聴率を誇っています。95回大会(2019年)には最大約38%の高視聴率をマークしたそうです。毎年1月2日と3日に開催される箱根駅伝。お正月の楽しみにしている人も多いのではないでしょうか。選手たちが全身全霊を込めて箱根の道を走る姿を見ると、ときに興奮し、感動を与えてくれます。そんな箱根駅伝には長い歴史があります。日本陸上の黎明期からつながれてきたタスキには、どのような歴史があるのでしょうか。 2日にわたって往路と復路を駆け抜ける箱根駅伝。ランナー10人がタスキをつなぐコースは10個あります。【往路】1区大手町~鶴見中継所2区鶴見中継所~戸塚中継所 16HAKONE EKIDEN学生たちがしのぎを削るタスキにこめられた代々の想いと歴史コース紹介「花の2区」で生まれるドラマも…

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